ヨーロッパはイスラームへの提案を選択している②

2018/11/13

 

ヨーロッパはイスラームへの提案を選択している②

 

 

メルケル首相のスピーチの2週間前に、見かけ上であってもヨーロッパ人権裁判所(ECHR)の判決によって保障された不可避の現実であるならば、憂鬱なことである。10月25日、ECHRは管轄内の47のヨーロッパ諸国で、オーストリア人の上訴人を否定し、「宗教上の平和」と「相互寛容」が言論の自由よりも重要であるという規則を定めた。

上訴人はセミナーの中で、ムハンマドが6歳年上の女性と結婚したかどうかは、この場合、小児性愛だと規定されるのかどうかと尋ねた。法廷は、この規則に従うと、それがイスラム教の批判を禁じるという明確な意味を持つ事実に基づいた根拠かどうかは関係なしに、ムハンマドの中傷は認められないものだと宣言した。

 

シャリーアは民主主義に対応しておらず、イスラームキリスト教徒やユダヤ教徒への攻撃のようなことさえも疑問視することから免れてしまうように、うまく正当化し広く実践されてしてしまっている。同裁判所は2001年にシャリーアをこのように評価したのだが、この判決はその評価をひっくり返してしまい、影響が出ている。

実用的な意味を理解するために、1990年のカイロイスラーム人権宣言(CDHRI)を振り返ることが役立つだろう。この宣言には、イスラム協力機構(OIC)の全57のメンバーが賛成した。

そこでは、国際的に受け入れられていた人権の定義を明白に否定し、中世の蒙昧主義的なシャリーア(イスラーム法)に基づいた定義をした。コーランの次段階にあたるシャリーアは、差別やキリスト教徒やユダヤ教徒への暴力を命じ、ムハンマド後のアラブ帝国主義の利益になるように人為的につくられた。

 

偽造されたイスラーム嫌悪のもとで、イスラームの不寛容についての最も過激な表現に関する批判を行うイスラーム至上主義者たちを追放することは、長い間究極の目標だった。

彼らは現在、ヨーロッパ「人権」裁判所の助けを借りて、その目的を達成するための道を進んでいる。

 

 

https://www.americanthinker.com/blog/2018/11/europe_opting_for_submission_to_islam.html

 

文章がながっだるくて難しかった。

途中からイライラしてきて、ちゃんと訳そうという気がなくなってきて、適当になってきてる…

 

前半部読んだ時点ではわたしこの筆者のことを勘違いしてました。

 

すんごいイスラムフォビアが伝わってくる。

 

ナチスを引き合いに出したのも、わたしが思ってたのとちょっと違う意味だったんじゃないかな!?

 

ヨーロッパ人権裁判所の判決もどんなのだったか知らないし、全貌がわからないから、この文章がどのくらい偏って書かれたものかわからないけど。

皮肉っぽい書き方にも腹が立ってきた。

 

こういう考え方をする人が政治家やメディアの中にもたくさんいるんだろうなぁ。

 

半端ないイスラムフォビアに触れてしまいました。

流し読みだと皮肉っぽさがわからんかったなぁ、悔しい。