サウジのカショギ氏は、トルコを新しい中東の基盤となる国として見ていた②
2018/10/20
サウジのカショギ氏は、トルコを新しい中東の基盤となる国として見ていた②
彼は生前最後のインタビューで、サウジ政府が批判していた、シリアに対するトルコ政府の政策を支持することを表明していた。
サウジアラビアは、アメリカのシリア政策に関わりながら成長してきた。公にシリア東部のKurdish-led軍を支持してきたため、トルコは脅威になりかねないと考えていた。カショギ氏はサウジとトルコの不仲を批判し、中東地域で特に力を持つ2国の提携のほうが、アメリカとサウジの提携よりずっと自然なことだと述べた。
カショギ氏はかつてサウジ王家の内部にいたが、彼らによる意見の弾圧や隣国イエメンとの戦争、カタールの小さな湾岸諸国との断絶などを通じて、徐々に王国の支配者たちへの批判をするようになった。
カショギ氏はイスタンブールに「歓迎される地」を見出したのだと、イギリス系パレスチナ人Azzam Tamimi氏は言った。
「イスタンブールでは自分がよそ者だと感じることはありません。人も、食べ物も、生活様式も。」
「また、トルコの最近の政治的権威とアラブとの距離は、オスマン帝国が滅亡してからの100年以来でいちばん近くなっています。エルドアン大統領とその政党の気持ちはアラブ人たちに開いています。」
トルコ自身も、2016年にクーデターの試みが起きた際取り締まりをし、多くのジャーナリスト投獄したことによる批判に直面している。
カショギ氏の先祖はいまのトルコ中心部あたりに住んでいた。姓はスプーン職人という意味のトルコ語「Kasikci」だった。
映画プロデューサーのAlhaji氏は、カショギ氏は中東の歴史の「百科事典」だと言った。
Alhaji氏はカショギ氏とともに、オスマン帝国総督かつメディナの軍事指揮官、Fakhreddine Pashaのドキュメンタリーの制作をした。彼は第一次世界大戦中、アラブの反乱に対し現在のサウジアラビアにある街を防衛した人物だ。
反乱による包囲攻撃はオスマン帝国の陥落と新たなアラブ国家の誕生を伝えた。カショギ氏の家族は戦いの間に避難した。彼の父を含む何人かは現在のトルコにあるイズミルに逃げ、別の何人かはダマスカスへ逃げた。
オスマン帝国維持のため、新たな国家誕生に対抗し戦ったFakhreddineが残したものは、沿岸諸国のリーダーたちとトルコのあいだの深い不平を生じてしまう問題である。
昨年、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領に批判的な湾岸諸国のリーダーたちは、カショギ氏とAlhaji氏とは違い、Fakhreddineがメディナからイスタンブールへ写本を持ち帰ったことで、彼らの遺産を盗んだのだと非難した。トルコのアンカラの側にあるカタールのUAE大使館の通りは、Fakhreddineの名残で、アンカラという名前が付いている。
「あの時期が、全てのアラブ諸国と中東の未来にとってのターニングポイントでした。」
Alhaji氏は、カショギ氏が達成させたかったであろうプロジェクトの中でこう述べた。
「Fakhreddineの伝記であるかのように彼に焦点を当てるべきではないのでしょう。しかし、この時代の歴史を扱わねばならないのです。」
続きです。
とても歴史に通じていたというカショギ氏。
自分も歴史を勉強する身として、いかにそれで学んだことを現代に生かすかを考えます。
どこの国でもさまざまな問題の原因を辿ればその中の多くがはるか昔にたどり着くものだと思うので。カショギさんは歴史をどう捉え、どう伝えようとしていたのかな。