1973年のアラブイスラエル10月戦争 なにが起こったのか?④
1973年のアラブイスラエル10月戦争 なにが起こったのか?④
戦争の余波
アラブ、イスラエル双方がこの戦争での勝利を宣言した。アラブは1948年、1956年、1967年のイスラエルとの戦争での、繰り返しの敗北による失敗を取り戻すことができた。
それから4年も経たない1977年、サーダートはエルサレムで、イスラエルの立法府であるクネセトに向けたスピーチをした。
当時のアメリカ大統領ジミー・カーターは、サーダートと元イスラエル首相メナヘム・ベギンを、ワシントンD.C.の郊外にあるアメリカ大統領の別荘、キャンプ・デービットに招いた。
3国の代表は13日間にも及ぶ密談を行い、1987年11月17日のキャンプ・デービット合意へと至った。この合意は、エジプト-イスラエル平和条約締結に向けたコンディションと、国連安保理決議242号を用いたイスラエルとパレスチナの平和への枠組みを構築するためのものである。
エジプト-イスラエル平和条約が1979年3月にワシントンD.C.で調印されたのに対し、イスラエルとパレスチナの平和に向けた枠組みは、いくつかの理由によって未だに実現していない。双方とも、実現しない原因が相手側にあるとして互いに非難している。この枠組みは、パレスチナ難民や、最も重要なエルサレムに関する問題について曖昧だった。
パレスチナ人にしてみれば、エジプトは自分たちの利益を最優先し、パレスチナを後回しにしたということになる。
イスラエルとの関係を正常化したあと、エジプトはアラブ連盟から追放され、全てのアラブ諸国はカイロとの外交関係を絶った。
1992年には、ヨルダンがイスラエルと平和条約を結び、ヨルダンとエジプトの2国のみ、イスラエルとの関係を正常化させたこととなった。ヨルダン川西岸地区、東エルサレム、ガザ地区、そしてゴラン高原の一部を今日まで占領している国と。
歴史的経緯を学ぶことはとても大切にしたいけど、完結したことじゃなくて、いまも続いててこの先も続きうる問題であることを常に考えて学んでいきたいと思います。
体認自得