1973年のアラブイスラエル10月戦争 なにが起こったのか?②

1973年のアラブイスラエル10月戦争 なにが起こったのか?②

 

 

戦争はどう展開したか?

 

イスラエルの防衛を外すため、エジプトとシリアは宗教的休日である贖罪の日に攻撃を開始することを決めた。この日は宗教的な義務の一環として、1年で唯一、ラジオやテレビ放送がなされず、店は閉まり交通機関も動かない日である。

 

その日は1973年10月6日土曜日だった。そのちょうど午後2時、ソ連の最新の武器を備えたエジプトとシリアの軍隊は、イスラエルに対し北と南からそれぞれ攻撃を始めた。

 

イスラエル軍の第一次反撃戦の際には、エジプト軍はスエズ運河を封鎖し、運河の東側に造られた防御用の砂の壁、バーレブ・ラインを攻略することをやり遂げた。

 

エジプト人のあいだで"the crossing"として知られるようになったこの最初の攻撃の成功は、25年間の敗北の後の勝利の象徴となった。

 

北側の先頭では3つのシリアの師団が、パープルラインとして知られていた1967年の停戦線を横断していた。そして、戦争開始から2時間後、シリア人はイスラエルにとって重要なヘルモン山の山頂標高2000mにある「イスラエルの目」を攻略し、はじめての決定的な勝利を収めた。

 

イスラエルの敗北は激しく、戦争の行方は圧倒的にアラブ側の勝利に向かっているように見えた。

 

しかし、それから24時間以内に、イスラエルは2つの武装師団を動員し、シリア軍は優勢から撤退へと追い込まれた。イスラエル軍が優勢になり、シリアの深いところまで占領した。

 

その結果、イラクサウジアラビア、ヨルダンの軍がシリア側の先頭に立ち、イスラエルからの反撃に立ち向かうこととなった。しかしまた、イスラエル軍は重要な勝利を得た。ダマスカスから35km以内に進出し、交渉に用いるための新たな領土を占領したのだ。

 

ソ連アメリカの両国は、蓄えが切れてきたそれぞれの同盟国のために、戦車や大砲などの武器を空輸し始めていた。

 

戦争開始から10日経った10月16日、アリエル・シャロン指揮下のイスラエル軍は、エジプト、シリア軍の防衛線を突破し、エジプトの首都カイロのすぐ近くまで迫った。

 

反撃によって戦争の流れはイスラエル優位へと変わり、戦いは行き詰まった。

 

10月17日、アラブ側は違う策を講じることを決めた。石油である。OPECのもと、アラブの石油生産諸国は、アラブで製造している石油量を5%減らすことを決めた。

 

彼らは「イスラエル軍が1967年の戦争で占領した全てのアラブ領土から完全に撤退し、パレスチナの人々の正当な権利を回復するまで、毎月同じ割合で生産量を減少させる」ことを誓った。

 

アラブ諸国アメリカへの石油輸出を禁止し、石油供給を停止した。

 

石油の生産高と供給の減少は、世界中の主要な物価を引き上げ、アメリカの戦争支援を見直させた。

 

 

https://www.aljazeera.com/indepth/features/2017/10/arab-israeli-war-of-1973-what-happened-171005105247349.html

 

 

日本にも大きく影響した、「第一次オイルショック」が起こった根本的な原因ですね。 

直接かかわっていなくても大きな影響を被る、グローバル化ってこういうことか!

 

自分は冷戦の時代を知らない。沖縄が日本じゃなかった時代を知らない。第一次どころか、第二次オイルショックも知らない。

 

けど案外、昔の話ではないのですよね、親世代は覚えてるんだし。

 

時間軸の感覚を研ぎ澄まさねば、と思います。