1973年のアラブイスラエル10月戦争 なにが起こったのか?①
2018/10/08
1973年のアラブイスラエル10月戦争 なにが起こったのか?①
1973年の10月戦争から45年経った。イスラエルはいまもパレスチナとシリアのゴラン高原を占領している。
イスラエルと、エジプト、シリア間の1973年の戦争開始から45年が経過した。
イスラエル人には第4次中東戦争として、アラブ人には10月戦争として知られているこの戦いは、アラブ世界を新たな現実へと誘い、アメリカの中東に対する対外政策を変えさせた。
以下が詳細である。
なぜ3国は戦争を始めたのか?
1973年戦争が起こる状態は、その6年前に作られていた。
1967年、イスラエルはエジプト、ヨルダン、シリアへの攻撃を開始し、6月戦争がはじまった。その結果、イスラエルは歴史的なパレスチナ地域、エジプトのシナイ砂漠、シリアのゴラン高原を占領した。
それから6日以内に、イスラエル軍はアラブ3国の軍に大きな打撃を加え、さらに3.5倍もの地域を占領した。
6年後、エジプトとシリアは、1967年に失った地域を取り戻すために、2国協同攻撃を開始することを決めた。
背景的には、ソ連(アラブ諸国に武器を供給)とアメリカ(イスラエルを支援)間の冷戦状態によって、戦争が激化していた。1962年のキューバ危機以降、両陣営は、かつてない軍事対立の最高潮に達していた。
アンワル・アッ=サーダート元エジプト大統領と、ハーフィズ・アル=アサド元シリア大統領のもと、アラブ2国は1973年1月に、両国の軍を同指揮系統の元に置き協力するという、秘密の条約を結んだ。
しかし、両国の目的は、驚くほど異なっていた。
自国の武器が古いことと、そのためにシナイを完全に武力のみで解放することは出来ないと悟ったシリアのアサド元大統領は、 シナイからの撤退を条件に、イスラエルに和平交渉を持ちかけた。しかし、当時のイスラエル首相ゴルダ・メイアは、その申し出を拒絶した。
戦争をするしかなくなったアサドは、1970年にクーデターを通じて権力を握ったサーダートという同盟者を見出した。サーダートも、エジプト国民に対し力を証明する必要があった。
エジプト人は土地の奪還に興味がなかった、と主張する説明もある。ゴラン高原奪還を切望するシリア人とは対照的に、ただイスラエルとの和平交渉に参加するのみの姿勢だった。
「アサド元大統領は私にこう語りました、権力を握った瞬間から、彼の野望、夢は、シリアがイスラエルにゴラン高原を奪われた、そして彼自身防衛大臣だった、1967年の敗北の復讐をすることだ、と。」
イギリスのジャーナリストで、アサドの伝記を書いたパトリック・シール氏はこう言った。
「アサド元大統領にとって土地の奪還は、個人的な責任を取らねばならぬことだと感じていたように思います。アサドは解放としての戦争を計画していました。」
一方のサーダートは、世界の超大国の注目を集めるため、停滞した和平交渉を再び動かすような限定的な戦争を求めていた。
日本語で読めそうな内容ですが、あえてアルジャジーラから持ってきて、訳します。
アラブと欧米の報道機関の文章を比べてみるのも面白いかも。
これも長いので、数回に分けます。
イスラエルやユダヤ人と、アラブ、中東、イスラーム教、それぞれどういうイメージを持ちますか?
イスラエルって特殊な国だというのは皆が知っていることだと思うのですが、なぜ特殊なのか、知らない人、大人でも案外いるんじゃないかなと思います。
大人って大人だからなんでも知ってる、って思わなくなって、大人でも知らないことが無限にある、ということに気づいて、それから大人への入り口に立った、という感じがしています。
イスラエル関係ないですね。笑
第4次中東戦争から45年…。
45年も経っているのですね。
問題が解決される日は来るのでしょうか?
いま世界が100年前に戻ったら、例えば世界の国々の指導者たちが100年前にタイムスリップして、そこでも指導者をするなら、彼らはどういう選択肢を取るのでしょう?当時の指導者たちが100年後のいまの世界の様子を知ったら、どういう選択へと変えるのでしょう???
残念ながら歴史にifは無いですが、ifを考えることも歴史を考えることの重要な要素なのでは??
1人の時間が増えて、色々考える時間が増えたから、こういうことを思うのかなぁ。